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卒業にあたり「時」を考える

2010年03月14日 テーマ:お知らせ,校長ブログ

卒業式 式辞

 本日ご来賓各位のご出席を賜り、明蓬館高等学校の第一回の卒業式を迎えました。皆様とともにこの記念すべき日を祝いたいと存じます。11名の卒業生を送り出す喜びはご本人とそのご家族、そして私達みんなのものです。

 さて、卒業を迎えるにあたり、今一度卒業ということの意味を暫く一緒に考えてまいりましょう。それは「時」とか「時間」ということです。全てのことに時があります。生まれるにも育てるにも時があります。喜び、笑い、悲しむ、怒る、憎む、愛するにも時があります。植えるのに時があり、刈り取るのにも時があり、建てるにも取り壊すにも時があるというのです。大事なことを忘れて途方にくれるのも時です。人と人とを割いてしまうことも時です。しかし、時が解決してくれることもあります。また悲しみを忘れさせてくれるのも時です。そして学ぶにも時があり、卒業するにも時があり、こうして私達は今ここに集っています。

 時には二つの側面があります。第一は時計や時間割などに代表される「時刻」です。何時何分何秒という時間です。一日、一週、一月、一年といった歩みのことです。数えられるのが時間です。歴史のうえで、ある出来事がいついつどこで起こったというのは時刻です。

 時間にはもう一つの考え方があります。それは、数えられない時間のことですです。充実したときは、時間を忘れるといいます。時間はあっという間に過ぎていきます。つらく、苦しい経験をするとき、時間を長く感じます。ここでの時間というのは、人生の意義とか価値とか意味のことです。速度が変わったり、繰り返したり、逆戻りすることを経験するのは、人間には内面の時というものがあるからです。

 自然が豊かな田舎では何故かゆったりと時間が流れているように感じ、都会の喧騒の中では、ものごとがめまぐるしく動き、時間がものすごい早さで流れて行くように感じることがありませんか。今の時代はあらゆることにおいてスピードが求められ、時間を節約するためにいろいろな道具や装置があふれています。「一体、私達はそんなに急いでどこに向かって行こうとしているのか」と考えることはありませんか。現代は、ときにかけがえのない人の命よりもスピードが優先されることさえあります。この現象は、実は私たちの価値観がどこか歪んでいるからです。

 これまで皆さんには、いろいろな経験、特に人との出会いがあったはずです。それは、私達がみずから求めたものというよりは、自分の前に偶然に備えられたと考えることが自然です。予見することができなかったことが起こってきたのです。時というのは予見が困難なことなのです。しかし不思議なことにいろいろな経験の場が、望むと望まないとに関わらず、私たちに備えられてきました。

 高校生活を振り返ってみると、卒業に至る時間にはこれまで申し上げた二つの側面があったことに気が付きませんか。この3年間、あるいは4年間は皆さんにとって長かったでしょうか。それもと短かったでしょうか。恐らくあっという間に経過したと感じる人、えらく長かった、と振り返る人もいるでしょう。それはこの3年間の意味が違うということです。しかし、どの人にとっても、すべてのものをその時にかなって美しく造られた、ということで今があるのです。

 卒業は刈り取りに喩えられます。と同時の卒業とは新たな出発を意味します。英語でいうCommencementとは出発のことです。刈り取りを目指して種をまく準備をしなければなりません。時というのは、種をまき、苗を育て、刈り取りの連続のことです。それぞれに意味があるのです。卒業は私達の生き方を考えさせてくれるまたとない時です。卒業おめでとうございます。

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