ウィスコンシンでの忘れられない人の2回目です。マジソンで落ち着くとルーテル教会(Mt. Olive Lutheran Church)に通い始めました。そして、そこの聖歌隊に加わりました。北海道大学時代に男声合唱をやっていたのがいきました。この教会は、私ども家族が始めて借りたアパートに牧師さんと会員の方がピックアップトラックでベッド、毛布、家具、食器などを集めてくれて運んでくれました。なんと親切なのだろうと感謝したものです。
会員のなかにMr.& Mrs. John Silbernagel(シルバーネーゲル)という方がおられました。なぜかこのご家族は私どもに興味をもってくださるのです。シルバーネーゲルさんはかつては陸軍軍人で、すでに退役されていました。マジソンの郊外に住んでおられ、息子の一人はそこで酪農を経営していました。春になると、畑を貸してくれてそこにジャガイモを植えました。トラクターや馬草を束ねるベイラーなどの農機の運転などを教えてくれました。ご家族が旅にでるときは、一週間の留守番を頼まれて彼らの広い家で、家族ですごしたりしました。
シルバーネーゲルさんは日本のことをいろいろと訊くのです。例えば、ふぐ料理はどうやって食べるのか、あたったりしないのか、日本とアメリカの野球は違いはなにか、相撲力士はアメリカンフットボールの選手より大きいのか、刺身はどうして美味いのか、、。戦時中、日系アメリカ人が砂漠の収容所に入れられたのはアメリカの恥だったと述懐していましたね。
あるとき、秋の馬草の収穫期に長男とでアルバイトを頼まれました。我々の仕事は束ねられた馬草をサイロに運ぶことでした。広い農場に散らばる馬草をトラクターにひかれた台車に積み込み、そしてサイロと牛舎にきちんと並べて積み上げる作業です。埃でもうもうたる作業です。その一束は10キロはあるのです。それを終日運ぶのです。あとで鼻をかむと真っ黒です。腕はひっかき傷でヒリヒリ、、。まるで開拓民の気分を味わうような貴重な経験をさせてもらいました。
お子さんは7人いるのですが、それぞれ独立していて新聞記者、看護師、矯正専門員、大学の研究者などになりました。普通のアメリカ人は、家族思いで、熱心な信仰を持ち、働き者です。そしてなによりも教育を大事にすることを知らされた家族、それがシルバーネーゲル家です。
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