瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクター、アートディレクター、直島福武
美術館財団ディレクター、女子美術大学教授など肩書きは数知れません。
何よりも北川氏を美術界で知らない者がいない存在にしたのは越後妻有
アートトリエンナーレの総合ディレクターとしての業績でしょう。
2000年から3年おきに行われてきた越後妻有の挑戦は回を追うごとに、
社会運動に近いものになってきています。
動員数の凄さはもとより、老若男女や海外からの来訪者、国際交流の
幅広さではあらゆる美術祭の頂点に向かおうとしています。
なぜ妻有なのか、なぜこれほどまでに海外の芸術家を魅了するのか、
疑問だらけだった私も、この本に書かれていることを読むと少しずつ疑問が
氷解していきます。
北川氏のこれらの言葉には驚きと共感を覚えました。
"美術についての考え方はかなり変わり、拡がってきている。絵画や彫刻
や工芸というジャンルではなく、もっと街や景観や都市や社会、文明と人
間との関係を明らかにする作業全体を美術といいたいと思う。"
"しかし個人のレベルで見れば、算数が苦手だとか、クラスの多数と合わな
いとか、親や社会が要求する教えに馴染まないとか、およそあらゆる局面
でズレてしまう一人ひとりの生理のさざめきが表現の源だと思っている。"
そんな言葉を反芻しながら川崎町安宅に芸術祭が行われる風景がはっき
りと浮かんできます。
それはきっと、借景をモチーフにした、新しいジャンルの芸術表現がすでに
ある遺産にもスポットライトを浴びせたものになるでしょう。雪舟も見た風景
に現代人のわれわれもデジャブのような不思議な感傷にとらわれることで
しょう。芸術表現に目覚める人の多くは自ら書くのではなく、書かされる人
ではないかと私は思います。同じように鑑賞する人もまた、その多くは
自ら見る、感じる人ではなく、見せられてしまう、感じさせられる人であろ
うと思います。
芸術表現というのは時空間を超えた、人と人の共感、共鳴だと思えるの
です。











