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わかりました、という日本語を心して使う

2010年02月07日 テーマ:理事長ブログ

子どもを授かり、日々接する中で、さまざまな気付きが生まれます。
童心に戻って、子どもと成長をともにする過程を歩む、不思議な感覚を
覚えることがありました。
自分が子どもである、当事者であるときよりも数倍も、数百倍も成長
できたと思えることがあります。
素直に、新しい事物に触れ、学んでいきます。
気付き、学ぶことがこれほど人間の成長に役立つだったのかという
ことに愕然とした思いを感じることがあります。

生徒たちと接して学ぶことがたくさんあります。
「わかる」という感覚の微妙な違いです。

「わかった人、手を挙げて」、とは学校の授業でよく目にする風景です。
人が動き、本当に成果をあげていくためには、「わかる」とは、
「同意する」「覚悟する」過程にまでたどり着く必要があります。

つまり、「わかる」とは、
「理解する」
  ↓
「共感する」
  ↓
「同意する」
  ↓
「覚悟する、決意する(意向を持つ)」
でなければなりません。

「わかる」とは、上記の過程を、立会い、関わり合い、接し合う人が
繊細な皮膚感覚でつかみ合う、細かいラインを「分ける」作業に
ほかならないと、最近になってようやく理解できてきた気がします。

生徒たちの、それぞれの顔に浮かぶ、
「分かった」顔、「分かっていない」顔の深度を探ることに関心を向ける
自分がいます。


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